ようやく子どもが寝静まり、穏やかな夜の時間が始まる。
ザッとSNSを流し読み。仕事に集中するまでの、頭の準備体操だ。ガーッとスクロールしていると、複数の呟きが目に飛び込んでくる。世の中がこんな状況にも関わらず、まるでこのパンデミックが起こっていないかのように、日本の外へ出て、挑戦を続ける人たちがいる。
「私は何をしにニューヨークへ行ったのだろうか?」
帰国してから、もう何十回と問い続けている。
もちろん、仕事のためだった。私はもっと上へ行きたかったはず。
だけど私は、「家庭を築く」ことを選択した。
育児をしながらも第一線で活躍している人なんて、世の中に五万といる。
これだけ執着するということは、子育てに振り回されながらもアメリカで頑張りたかったのだと思う。何か成果を出したかったのだと。
ただ、あのままアメリカに居続けたからといって、私に何かしら達成出来たのかどうかは不明だ。
帰国して早3ヵ月。
先のビジョンも見えていないままただただ一日を過ごして、子どもが家にいるからしょうがないと言い訳をし、仕事のスピードも渡米前の十分の一。
そんな私に、異国の地で何か出来たのだろうか…。
ただの無い物ねだりかもしれない。だけど、ハードルが高すぎる地であるからこそ、チャレンジするには持って来いの場所だった。時間がいくらかかろうと、自分が満足のいくことを何か成し遂げたかった。そして自分自身、変わりたかったのだ。
私は帰国してからずっと、たった2年前の想いと思い出に、縛られ続けている。
もう二度と住むことはないであろう地であるからこそなおさら、夫と34丁目で待ち合わせをしていたあの頃の光景を、セントラルパークを散歩したあの日を、ピザを頬張りながら笑い合った日々を、愛しく思い出すのだ。
けれど明日になればまた、夫と娘の顔を見て、新しい幸せを噛みしめるのだと思う。答えが出ないまま、また夜へ。答えを導き出すために考えて考えて、考え続けるのだ。
思い出に浸り、発散する場所。ここに始まります。