2019年3月18日。待ちに待った語学学校での授業がスタートした。
私が通った学校は「Kaplan International」のNY SoHo校。
Kaplanはニューヨークに当時、Empire State校とSoHo校の2拠点があったが(現在はどちらもCentral Park校へ移転)、私はほぼ即決でSoHo校へ決めた。有名な観光地でもあるビルの、63階で学べるというEmpire State校が人気であろうことは安易に想像ができた上、SoHo校よりは日本人が多く在籍しているとの話もあったためだ。日本人は極力少ないほうが良かった。
そして、“オシャレな街・SoHo”に毎日通い、嬉々として歩いている自分の姿を想像するのは、とても気分が高まった。
そもそもなぜ数ある語学学校の中からKaplanに決定したか?だが、それはただ、無事に学生ビザをゲットするためだった。NYには、学費の安い語学学校に通い(私の2校目がそうだった)学生ビザをキープしながら現地で働き、滞在し続ける、という人たちが少なくないようだった。
私が利用した留学エージェントも、学生ビザを取得するための無難な語学学校を、いくつか把握していたようだった。彼らからオススメされた3つの語学学校の中から、プライドなのか何なのか?学費が一番高かった学校を自分は選んだというわけだ(言っても差額は数万円程度だったが)。
留学費用に興味がある方は、エージェントからの領収証の画像を置いておくので参照してもらえればと思う。語学学校の入学金や半年間の授業料、寮代わりのアパートメント滞在費12週間分に手数料、空港からの送迎費などなど。フライトは自分で手配したので、これにプラス10万円ほどが、ざっくりとした初期費用ということになる。もちろんアパートの滞在期間が終われば、また新たにアパートなりシェアルームなりを探して契約する必要があった。食事や日用品などの生活費も別だ。私が尊敬する、とある会社の社長に投げ掛けた「ニューヨークに半年間ほど滞在するのに、いくら必要か?」という問いに対して「500万」と答えられたが、それは間違っていなかったのだな、と思ったことだ(家賃高騰のため、今はそれだけでは足りないだろう)。
語学学校の初日、颯爽と地下鉄に乗りーーー海外ひとり旅慣れしていない私は、ドキドキしながらメトロカードを購入、ドキドキしながら初めての地下鉄に乗り、アパートの最寄り駅・42 St-Bryant Park Stationから学校の最寄り駅・Broadway-Lafayette Stまでどのくらいで到着するか、数日前に事前に予習していたーーーSoHoへ向かった。
初日は、オリエンテーションとクラス分けのためのプレースメントテストを受けた。先生との1対1で質問に答えていくスピーキングのテストと、パソコンを使って行うリスニングと文法のテスト。少しは勉強していこうと数ヶ月思い続けて結局して行かなかった私は、もちろん一番下のビギナークラスからのスタートだ。
学校開始2日目からは、本格的な授業が始まった。本格的とは言っても、“Conversation”と言ったほうが良いかもしれない。ワイワイと会話する時間のほうが多かったように思う。先生はクリミナル・マインドのデレク・モーガンのような人で、日本人の奥さんと国際結婚をしていた。だからなのか、私たち日本人には時々、とても親身になって対話してくれているように感じた。とてもフレンドリーで、卒業してからもときどき連絡を取っていた。
生徒に関しては、私が入学した時点で日本人の男の子が2人いたが、1週間経つとひとりは卒業していった。大学を卒業したばかりで、入社するまでの春休み期間中の短期留学のようだった。日本人の他に、ブラジル人、ペルー人、チリ人、タイ人、ジョージア人など、様々な国からやってきた生徒たちがいた。
生活スタイルもすっかり変わった。ほぼ毎日6時に起床して朝ご飯を食べ、ランチ用のサンドイッチを準備した。学校は基本的に8時30分からスタートし、90分×2コマで午前中には終了した(午前クラスか午後クラスか選べ、私は午前クラスを選択した)。週に2回は、K+というプラスαの授業を選択し午後に1コマ受ける必要があったが、その他の日は、授業が終われば通学時に通る緑豊かな公園 “マディソン・スクエア・パーク” や “ワシントン・スクエア・パーク” でランチをとった。アパートから学校までは地下鉄が速かったが、街を知るために、雨の日以外は1時間ほどかけてゆっくり徒歩で帰宅した。夜は22時に就寝。朝は苦手で10時頃にノソノソと起き、夜型のために深夜または朝方まで仕事をする生活をしていた頃からは打って変わり、何とも健康的な生活の始まりだった。
さて、語学学校にも慣れてきた頃、私はひとりのアメリカ人と出会っていた。知り合いのエンジニアさんが繋いでくれた彼の親友であり、近い将来、自分の夫となる人物。翻訳ツールを駆使したであろうこのメッセージから、私たちは会話をスタートさせた。
仕事に人生を懸けていた日々からは想像すらしていなかった出来事が、ここから徐々に始まっていく(To be continued)。